福岡県の民謡「黒田節」

福岡県の民謡に「黒田節」というものがあります。歌詞は以下の通り。

酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲み取るほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒ひき止めて 立ち寄れば
爪音高き 想夫恋

歌詞にあるように、黒田氏とお酒とは深い繋がりがあります。また、この黒田節は、史実に基づいて民間に広まったものです。

黒田節の由来

では、黒田節が生まれる史実は、どのようなものだったのでしょうか?

黒田節の歌詞は、安土桃山時代に黒田官兵衛の息子・黒田長政の使者として福島正則邸を訪問した黒田氏の武将 母里友信(もり とものぶ)が、正則に「飲み干せば何でも褒美を取らす」と大盃に注がれた酒を勧められた際に、使者という立場上、何度も断ったものの、「黒田武士は酒に弱く、酔うと役に立たない」と揶揄され、腹を立てた友信がこの酒を見事に何杯も飲み干し、約束通り褒美に正則自慢の槍(日本号)を貰い受けたという逸話に基づいている。

参考:Wikipedia

このような逸話が残っているように、黒田氏は酒豪だったのです。

黒田官兵衛のゆかりの地

前述の通り、黒田節は、福岡県の民謡として全国に広がりました。黒田官兵衛は姫路城で生まれたのですが、何故、福岡で黒田節が生まれたのでしょうか?

そもそも、黒田氏は、鎌倉時代末期、京極宗氏の弟とされる宗満(むねみつ)が近江国(現在の滋賀県)伊香郡黒田村に住み黒田氏を称したのが始まりでした。16世紀初め高政のとき備前国(現在の岡山県)邑久郡福岡に移って赤松氏に使えました。高政の子重隆の時に播磨国姫路に移り、重隆の子職隆が赤松氏の一族小寺氏に仕えてその養子となり小寺氏を称しました。そして、職隆の子孝高(官兵衛)が織田信長・豊臣秀吉に仕えて軍功を挙げ、黒田氏を復活させました。1587年(天正15年)豊前国(現在の福岡県東部)中津城主12万石となり、1600年の関ヶ原の戦いで孝高・長政父子は徳川方につき軍功により筑前国(現在の福岡県西部)福岡城主52万石を与えられ、子 長政が初代藩主になりました。そして、以後代々福岡藩主となりました。

参考:Wikipedia

まとめると黒田氏は、

滋賀県 → 岡山県 → 兵庫県姫路市 → 福岡県

へと拠点を変遷しており、黒田節が福岡県の民謡として生まれたのは、拠点を福岡県にしている頃のことだからです。

黒田官兵衛ゆかりの地のお酒

これまで書いてきたように黒田氏は一族揃って酒豪でした。同時に、お酒にもこだわりがあったのでは無いでしょうか。

官兵衛ゆかりの地には「官兵衛」の名前を冠したお酒があります。まとめて紹介します。興味のある方は、一度、試しに飲んでみては如何でしょうか?

天下取り 本醸造 官兵衛(からくち)

すっきりとした辛口が心地良く料理の味をじゃませず食中酒として最適なお酒。

名城 官兵衛にごり酒

華やかな香りとキメ細やかな米の身が口の中に広がります。後味爽快。

名城 「官兵衛」純金箔入

盃に注いだとき、金箔がキラキラ舞う様子がとても綺麗です。祝いの贈り物には、豪華な金箔入りの日本酒は最適です。

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